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紀藤弁護士と著作権 

弁護士紀藤正樹のLINC/僕の考える著作権 というもの

>著作権も財産権のひとつとして、憲法で保障されていることは当然ですが、表現の自由は、人が生まれながらにしてもつ根源的な権利として、財産権よりも優越的地位を有するというのが、憲法学者の通説的理解です。

表現の自由が生まれながらにして保障されている権利であるから、これを疎外する可能性のある著作権を疎外するという論理は、財産権よりも優越的地位を有すると解釈することで自らが優越性を得ることを望む通俗的理解でしかない。
なぜなら、著作権を含む財産権が失われると表現の自由を根拠に表現することもできなくなるからである。
彼のいう表現の自由とは表現の質的なものをいうように装いながら、量的なものを求めている。
著作権者が著作物を使用して表現されたものよりも、他者が著作権者の著作物を使用することで表現されたものを優先することは、少数の一部でしかない著作権者よりも多数の他者を優位とするもので、著作権者の優位性という質的なものよりも他者という人数・・・つまり量的なものに優位性を認めている。
量が多ければ質も向上することにはなんら根拠がない。

>そして著作権は、財産権のひとつですから、資本家の要求と大衆の要求が鋭く対立する面を持つ問題といえます。

>著作権をあまり厳格にとらえ過ぎると、表現手段の多くを資本家が握っている現状では、著作権が表現の囲み込み手段のひとつとなってしまう可能性があります。表現をするたびに著作権者に使用料金を払わなければならないというのでは、かえって、文化の自由な発展を阻害してしまいます。


資本家=ブルジョアと大衆=プロレタリアの対立というマルクス主義的解釈はこの問題には当てはまらない。
表現をするたびに著作権者に使用料金を払わなければならないというプロレタリアの現実が必ず存在するとはいえない。
まず、著作権者=ブルジョアとは限らない。例えば裕福とはいえない人間が私的に製作し著作権が発生し著作権者となった場合の著作権を金銭が絡まず無償で引用できる現実があり、彼がこの後提示する著作権法にもこれが「引用」として明記されている。
この著作権者にはブルジョア的優位性がないのだから、ブルジョアがいてこそブルジョアではない他者はプロレタリアとなるのだから、著作物を使用する他者はプロレタリアでもない。
また、著作権者がブルジョアであり、著作権者ではない他者がプロレタリアであっても、経済のプロレタリア独裁がプロレタリアを苦しめ文化の発展どころか、文化の基盤となる経済までも貧困にあえぐことになることからもわかるように、ブルジョアはブルジョア自身だけでなく、プロレタリアのためにも必要とされることと同じく、ブルジョア著作権者が著作物により得る資本で著作物を生産することで、プロレタリアを含む人間の文化に貢献することができる。
著作権者ではなかったプロレタリアが著作権者となった場合には、ブルジョアとなることもあるから、ブルジョアという支配者とプロレタリアという被支配者の地位の関係が固定化されているわけでもない。
逆に著作権者というブルジョアの権利をプロレタリアに移すことは、ブルジョアの否定、プロレタリア独裁となり地位の固定化である。
著作権者が認める著作物を金銭という対価で使用する権利や著作権者が認める金銭が絡まない著作物の使用の権利や引用という権利をも否定する著作権法であってはならない。これでは経済でいう市場主義的なブルジョアとプロレタリアの地位の固定化になってしまう。

>それなのに、ホームページにちょっと新聞記事を載せただけで新聞社からクレームがくるというような現状は、あまりにも窮屈といえます。要は、引用に正当な理由があるかどうかであり、それを判断する基準として、引用によってお金を取るか取らないかということ、つまり営業行為としてやっているかどうかという点を、重視すべきです。営利行為でなければ、引用の範囲は広げていいはずです。

こんな「現状」が一般的であるのか。
「ホームページにちょっと新聞記事を載せただけ」の「ちょっと」が引用の意味であるならば、新聞社がクレームを出す権利などない。
転載であるならばある。
現状のネット上における著作者にもブルジョアとはいえない者もいる。
ブロガーもこの一部である。有料でブログを公開している者こそ一部であり、閲覧者は記事の引用を無償でできる。

弁護士紀藤正樹のLINC TOP NEWS−BLOG版 Toshi復活の条件
弁護士紀藤正樹のLINC TOP NEWS−BLOG版 「『大規模小売業者による納入業者との取引における特定の不公正な取引方法』の運用基準」等の公表について

この彼のブログの記事には、引用範囲を超えたニュースの転載と見られるものがある。。。
「ちょっと」とは引用のことではないのだろう。営業行為ではないのことだろう。
確かに、このブログは無料で閲覧できるために、これが即時営業行為とは呼べない。
著作権法は親告罪であるからよいとするのか。これでは、「ホームページにちょっと新聞記事を載せただけで新聞社からクレームがくるというような現状」が、クレームが来ておらず現実ではないのか、来ているが戦っているのか。。。
クレームと親告は違う。
しかし、転載が法的に認められている現状は存在しない。

ココログ4:利用規約
(ココログとは彼の使用するブログサービス)
>ココログ (ベーシック、プラス、プロ)利用規約 2006年3月28日
>第8条(利用上の制約-2)
>(1)ニフティもしくは他者の著作権、商標権等の知的財産権を侵害する行為、または侵害に結びつく行為。
>ココログ(フリー)利用規約 2006年3月28日
>(1)ニフティもしくは他者の著作権、商標権等の知的財産権を侵害する行為、または侵害に結びつく行為。


法律と規約は違う。
多くの市民が法律も規約も守っていない。
プライドを持って守らないのか。
多くの市民と同じ行動をとることが市民主義、民主主義的なのか。
もしもこう解釈しているならば、それは大衆迎合主義ポピュリズムであって、衆愚政治と真に主権者のためになる民主主義との混同である。
表現の自由を絶対視することで著作権を矮小化する原理主義と化している。

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